日本と欧米の授業風景が、テレビドラマやドキュメンタリーで打ち出される場面にしばしば出くわしますが、その違いに唖然とすることがあります。

欧米の授業では、生徒が積極的に発言し、その発言に対して自分はこう思うという肯定意見だけではなく、批判的な意見もバンバン出て、まさに一つの答えを出すための「議論」と言った雰囲気です。かたや日本の授業は、先生が一方的に説明し黒板に書いたことをひたすらノートに書き続けて、指名されて答えを話し、「正解」「間違い」を指摘されるだけ。

一昔前の学生も大体そんな感じの授業風景で、それが当たり前だと育ってきたせいか、仕事で何かの意見を求められても、感覚や感情でしか答えられない自分にうんざりする事があります。今社会人になって、もっと早い段階から、与えられた情報をただ受け取るだけでなく、それに対して「考える」癖を身に着けておく訓練をすれば、少しロジカルな考え方を身に付けられる可能性もあります。

そこで今回は、教育現場におけるロジカルシンキングの必要性について考えていきたい思います。

海外でのロジカルシンキング事情

日本では、集団行動を重んじ、相手を批判せずに受け入れる事が礼儀とされる風習があり、批判される=人格を拒否されていると思われる節があります。もちろんそれが悪いことだと位置づけるつもりはなく、今ここにきて海外での日本人気が急上昇している背景には、そういったやさしさや思いやりが人への温かみを象徴しているという部分もあります。

では、海外では幼少期から「ロジカルシンキング」を学ぶシステムが整っているのでしょうか。

調べてみると、海外では特にロジカルシンキングを教える時間は設けておらず、毎日の生活の中で培われていくようです。どの科目においても情報収集・比較・分析で自ら考え習得する授業カリキュラムになっており、自然と身についていくのだとか。

日本でのロジカルシンキング教育

ここにきて日本の教育においても、ロジカルシンキングやクリティカルシンキング、ディベートと言ったものにも力を入れ始めたようです。しかしながら教師の側がどうしても従順に目上の者に黙って従う集団をよしと教えられた世代が多く、中々浸透するのは難しいようです。現段階では、「人前で自分の意見が言えて偉かったね」という程度なのだそうです。

中には、「社会人になってからロジカルシンキングを訓練しても遅い」と、ロジカルシンキングを専門に教える塾なども出て来はじめています。開放的な教室で、ホワイトボードをコの字に囲み、先生はあまり板書はせず、テキストはA4用紙数枚と、子供たちが発言しやすい状況を作っています。そうすると、学校では引っ込み思案だった子供たちが、いい表情で進んで発言するようになったと先生は言います。

最後に

会議や何かの集まりで、意見が飛び交うという場面に出くわすという事はほとんどなく、参加者が最後まで一言も発することなく、「お疲れさまでした!」と拍手して終わる事が少なくないでしょう。(そして多くの場合は、終わってから近しい人たとだけでああでもないこうでもないと話をする残念な場面が多いのも事実です)親がこうである限り、子供もそうなるのは自然の摂理ですよね。

ロジカルシンキングを日本に浸透させるという意味では、子供たちが大人になった時に海外にも通じる若者が多く輩出されるように、どんどん推し進めていく必要がありそうです。そして何より、子供の前に大人の教育も必要なのかもしれませんね。